最近読んだ本。
知ってる人はしってる「北海道のメロン農家」の話。
社長自らが執筆している。
普段はこの手の本は読まないのだけれど…
売上一億円と聞いて、手にとって見た。
サイトをリニューアルしました。
今回は、J2.5.6使用です。Jにはエクステンションがいろいろありますが、J本体のバージョンアップやアップデート時に、エクステンションが使えなくなったり、データの互換性がなくなったりで、いまいち使いづらいものが多くありました。
そこで今回は極力エクステンションなし、J本体のみでやろうとしています。唯一テンプレートだけは、標準添付のものがあまり良くないのでいろいろ探してみました。15種類くらいダウンしてみてやっと見つけのが「gantry」というやつ。
モジュールの配置も理解しやすく、設定通り動く(^_^;)のでgood!です。エクステンション自体の設定もわかりやすく機能豊富です。しかも無料 (^ω^人) アリガト♪
J本体で、従来の各記事の参照数は再設定できないみたいで、リセットしました。また0から再出発です。
よろしくお願いいたします。
電子教科書の話をいろいろなところで目にするようになってきた。
「学校教育のデジタル化 子どもの人格形成を阻害」http://p.twipple.jp/htDpm (柳田国男)を読み、少なからず違和感を覚えたが、明確な反論ができない自分が情けなかった。
翌日、「保守主義の病理」http://agora-web.jp/archives/1077132.html (松本徹三)を読んで「我が意を得たり」でした。ただしこの中で
(私の見るところでは、日本の「年功序列」にどっぷり浸かってきたビジネスマンの国際競争力は、ほぼゼロに近いでしょう。)
の部分がよくわからない‥「年功序列」のどの部分が「国際競争力」に関わってくるのか?
年功序列 → 長く勤めていれば給料が上がる → やる気や能力のある従業員が辞めていく
→ 会社としては、能力給や成果主義に変更して、社員が努力した結果が評価に結びつくようにし、国際競争力をつけていきたい
という図式なんでしょうか?会社側の意図としてはわかる(容認するわけではない)が、松本徹三さんは「ビジネスマンは」と言ってるので「社員」の側の話ではと思われる?「社員として年功序列を容認してどっぷり使っていると国際競争力なんてつかないよ」と言っている。でも70年代~80年代はその制度のもとで世界に冠たる日本を築いていた。当時は国際競争力があった。現在は、見るも無残な状況なのは周知の事実。その原因が年功序列にあるってこと?
成功体験にしがみつき、革新的なものを拒むつもりはさらさらないが、欧米流のやり方が何でも良いという論調にも賛成できない。結局、ようわからん‥
誰か解説を‥
Team Viewer という無償(個人使用のとき)アプリの存在を知り、利用を始めています。
このソフトは、別のパソコンにリモート接続して画面を見たり、操作したりできるというものです。
対応OSはWindows、MAC、LINUXで、iPhoneでも動きます。
動作もきびきびしていてグッドです。EMのd02hwで接続してみましたがあまりストレスなく動きます。
、このソフトのすごいところは、アプリを立ち上げるだけで、あとは何もしなくてもよいところ。しかも安全。
いままでもリモートアクセスのためのツールはいろいろありましたが、ポートの設定や、グローバルipアドレスの取得など、
面倒なことが多くて結局敬遠してしまってたのですが、今度は、そんなことは一切不要。
アプリを起動すると。サービスの提供元のサーバとsslで接続され、アクセスする側も同様に、サーバに接続される。
接続されるとワンタイムパスワードが表示され、リモート先のパスワードを相手から電話などで聞いて入力しないと
接続できないようになっているので安全です。ルータの中からももちろん接続できます。
これが個人使用のときは無料なんだから驚きですね、
自分のpcに外出先から接続したり、知人のサポートにも使えそうです。
高校卒業以来なので、約40年振りに、生まれ故郷に行ってきた。
今は結婚して独立した子供たちと家族全員、総勢6名で、車は子供の会社の組合から借り、ることができ、高速代も条件付ながら一部区間ではどこまで行っても1000円と廉かったのでラッキーだった。しかも運転は子供たちに任せ、わたしはゆったりと居眠りしながらの旅行で、楽ちん。運転ありがとうね→子供たち&奥さん。
40年もたつと、すっかり町の様子は変わってしまい。卒業した高校も始めは分からなかった始末。正門前のトンネルを見てようやく気がついた次第。さすがに正門のすぐそばにあったラーメン屋はすでになかった。部活(当時はそんな風には呼ばなかったと思うが‥)の帰り、うちに帰ればすぐ晩飯なのに、それが待ちきれずに友達とそこに寄ってから帰るのが日課だった。 しかも晩飯もきちんと食べられたのが不思議。
当時暮らしていた家も、大きな道路や高速ができたこともあり、初めはその場所に行き着くことができなかった。どうにか行ってみると、両親がすでに引っ越してしばらくたっていたので、人手に渡り、いまは全然別の人が暮らしている様子。ただ両隣や向かいのうちはそのままだったので、安心というか、なんだかほっとした。
いろいろとかわってしまい、これからふたたび訪れることはないかもしれないが、子供たちにも親父の生まれ故郷を見せることができ、いい旅行だったと思う。
(写真などあとで載せようと思ってます)